192:彼氏いない歴774年:2011/12/09(金) 08:32:13.58 ID:m6ST1KYT
先日実家が火事起こして全焼したこと
家族全員無事だったのが幸いだったけど
何もかも燃えてなくなってしまった
火事起こした日から今まで諸々の対応や雑務にひたすら追われてるけど
ほんとにまさかこんなことが起きるとは思ってなかったから
なんだかまだ現実感がなくてずっと頭の中がぼんやりしてる
これからの事とか、考えなくちゃいけない事は山ほどあるのに
なんかちびまる子ちゃんの永沢くんの事ばっかり考えてしまって自分でも戸惑ってる
こんなに永沢くんのことを考える日が来るなんて思ってもみなかった…
例えば、小さい子どもを出して、ただひたすらけなげに酷なことをさせればいい。(装置)
雨の中、知らない街でお母さんを探すとか、いなくなったペットをひたすら探して転んで膝をすりむくとか。
悲しげで大げさな音楽をこれでもかと流す。演技が真にせまっていれば(演出)大抵の観衆は自動的に泣く。
泣くのは快感だから、大抵の観客は泣かされても文句は言わない。
みうらじゅんはそういうのを「涙のカツアゲ」と呼んだ(Always三丁目の夕日を例にあげて)。
だが、泣く人の気持ちはわかるような気がした。別に泣いたっていいじゃないか、とも思った。問題はその先だ。多くの人が「ああ、自分は泣いてしまった。不覚ではあるが事実は事実だ。ここは厳粛にこの事実を受け入れ、この作品を評価せずばなるまい」と思い込んでいるようなのだ。これが私にはよくわからない。皆あまりに自分の生理現象を信頼しすぎているのではないか。人は梅干しの写真を見れば唾液が出てきてしまうのだ。
私などそりゃもう恥ずかしいぐらいによく泣く。このあいだは、タイトルも知らない単発ドラマを、終了5分前から観始めて泣いた。登場人物の人間関係も、そこまでのストーリーすらまったくわからないのに、ある年配の役者が発したセリフのひと言に感じ入って涙が出てしまったのだ。これにはさすがの私もあきれ、そして理解した。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
2010-02-24
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